新緑の箱庭

日々の雑感の掃きだめとして。

Nについて

f:id:may_negi:20201026234644j:plain

 

 今日はNの話をしようと思う。

 

 Nというのは、私の元職場の同僚で、友達である。

 年は4つか5つ上なのだが、採用は私より一年遅く、先輩としても後輩としても、中途半端な関係にあった。だから、こんなに深く付き合うようなるなんて、出会って間もない頃は全く思いもしなかった。

 

 Nは非常に気が利く。鈍臭くて自分の事すらままならない私とは人間的に雲泥の差があり、常に周りの人間の距離と、表情と、状況を読んでいる。彼女と食事に行く人間のうち、何人が自分で匙を取り、先にグラスに水を注ぐことができるだろうか。とにかくNは、周りの人間に簡単に隙を見せない。

 当然仕事においても高い能力を発揮するNには、普通の人間の何倍もの仕事が舞い込んでくる。「本当にきつい。やりがいもないし、やめたい。」と、彼女はやっとほんの少しの愚痴を私にこぼしてくれるようになったが、実際は職場の誰よりも完璧に任された仕事をこなし、一番高い成果を挙げて来る。分厚い皮に包まれた、本心の見えない人……私の最初のNへの印象は、この程度だった。

 

 彼女、と書いたが、Nは女性である。実際、彼女は大変女性らしい。料理や裁縫の腕前は天下一品で、飲み会の二次会で急に自宅を訪れた同僚においしい手料理を振る舞えるし、自分で縫った美しい形のワンピースで出勤することもある。買う服のセンスもよい。彼女と一緒に街を歩けば、好奇心のままに馴染みの店の服を次々と手に取り、あれよあれよという間に両手いっぱいに購入している。モノトーンかつ無難な形の服ばかり身に着ける私にとっては、一生着る機会のなさそうな奇抜な形のスカートも、彼女にかかれば夢のようなコーディネートに様変わりする。研究した上で、自分に似合う服をよく理解しているのだろう。高校時代美術部だったという彼女は、美しいものが好きだ。美しいものに囲まれているときの彼女は、仕事の時には見せない、あどけなく天真爛漫な少女の顔をしている。仕事の時とはかけ離れた彼女の姿に、私は何度も戸惑った。この二面性は何なのだ? どちらが真で、どちらが偽だ?

 

 Nは、私をたくさん遊びに誘ってくれた。飲みもご飯も旅行も、最近では彼女と行くことが一番多い気がする。同じ時間を重ねる中で、私は何度も注意深く、彼女の正体を暴こうともがいた。何をさせても欠点のない、優等生の分厚い皮の下で、本当は何を考えているのだろう? 私たちはよく話した。馬鹿話も議論も恋の相談も、ケンカもした。それでも彼女の本心は、見つかることはなかった。というか、剥いても剥いても皮だったのである。

 その感覚が確信に変わったのは、二人で神戸に旅行に行ったときである。異人館街の香水の館で、私たちそれぞれの香水を作ってもらった時に、彼女に割り当てられたのは甘いはちみつの匂いだった。愛らしい少女のような、柔らかな匂い。その瞬間、悟ったのである。彼女の本来の姿はこれなのだと。仕事の時に見せる類稀なる鋭敏な感覚は、努力の上に培われたものなのだ。彼女を包む「皮」は、汚れた本体を覆い隠すための仮面ではなく、一枚一枚上塗りされた彼女の努力の賜物で、それが玉ねぎのように、今の彼女を形成しているのだと。

 

 もう、私に彼女を疑う理由はなかった。初めての感覚だった。卑屈さゆえに、他人に対して心を開くのを苦手とする私が、彼女の虜になっていた。彼女は努力家で、博識で、客観的だった。二人で話し合えば、彼女はいつも私が欲しい言葉をくれた。彼女のお茶目な一面に、心はいつも明るく照らされた。もしこの文章が小説なら、そろそろ彼女か私の身に何かが起こって別れの危機に晒されそうなものだが、幸い、私とNは、職場が離れた今でも友達である。きっとこれからもそうだろう。

 

 好きな人について書こうと思うとき、あれこれと考えていたはずなのに、いざ文章にすると思いだせないものである。乱文かつまとまりのない内容になってしまったが、推敲は気が向いた時の私に任せて、今日はここまでにしようと思う。

 また思いだしたことがあれば、Nについて書こう。彼女はとにかく、魅力的である。