新緑の箱庭

日々の雑感の掃きだめとして。

竜 ~どまこん8感想~

 

 

 合唱団とは生き物だと思う。

 

 団員一人一人が個体差のある細胞で、指揮者の拍動によって一斉に呼吸し、音楽を奏でる。指揮者のいない団体の場合は、原核生物のように全身が心臓になって、リズミカルに伸びたり縮んだりしながら旋律を紡ぐ。そんなイメージ。

 

 いつかの全国大会のどこかの強豪団体の演奏を聴いたとき(CAさんだったかもしれない、ちゃんと調べるべきだが……)、この感覚が比喩でなく、実際に目の前に幻覚として現れたのを良く覚えている。一糸乱れぬダイナミクスの波動、高声から低声へ何度も往復する声のエネルギーが、私には竜のように見えた。ホールの残響を支配して、合唱団の上を飛び回る大きな竜。

 ホールの空間を媒介して、私の精神は身体から離れ、竜と融け合う。心が透明になって、音楽の色に染まって、自在なアーティキュレーションになぞられるまま、連動して身体が震え、涙が誘われる……。

 

 私にとって、音楽に心を震わせるとはそういう経験のことだったなと、久方ぶりに思い出した。

 

 夢にDomaのメンバーが出てきた。発端はそれだったような気がする。もう知り合いの団員の方が少なくなっているが、懐かしくて大好きな顔ぶれだった。

 コロナ禍になって3年、職場の関係もあり、私は不要不急の外出自粛を言葉通りに守って、一切県外へ足を運んでいなかった。あのとき一緒に歌ったメンバーとは、画面の文字や音声でやりとりすることはあっても、その姿を実際に見る機会は全くなくなっていた。

 また、そろそろ生で上手い合唱を聴きたいという欲も高まっていた。自分が指導する部活動でも、新入部員が増えて指導のテコ入れが必要になる。自分に目的意識がなければ、上手く生徒を導くこともできない。

 なら、行くか、どまこん……? と、前日の部活の時に思った。

 

 衝動を抑えきれず、全く無計画に自由席のチケットを買って新幹線に飛び乗った。久方ぶりの博多駅は土地勘を完全に忘れていて迷子になりかけた。飛び乗ったJRがたまたま区間快速だったので無事に最寄り駅に着いたようなものだ。特急に乗ってスルーしていた可能性もある。

 福岡に来るのってこんなに大変だったっけ……? と思いながらホールの座席になんとか座る。ちらほら知り合いがいる気がするが久しぶりすぎて話しかける度胸が全くない。できるだけ存在感を消す。

 

 ブザーとともに団員の皆さんが入場して、演奏はすぐに始まった。

 一曲目の武満徹から、いい音がしていた。

 目をこらすと、久しぶりに姿を見る先輩の姿がちらほら。皆さん昔と変わらない、いい表情で歌われていた。Domaに在籍していた期間はほんのわずかな間だったのに、ふいに懐かしさがこみ上げ、意識が過去へ飛ぶ。

 何年も前、自分もあそこにいたんだよな。心がそのまま溢れるような演奏に憧れて、一緒に歌わせてもらってたんだったなぁ。

 二曲目のButterflyでは、一気にDoma得意の複雑な和音がホールに鳴り響く。pの緊張感も見事だった。これだよ、これ! 今の自分では再現できない繊細さに思わず歯がゆくなる。これ、うちの部でもやりたい。

 専門的な音楽指導どころかピアノすら弾けない自分では、正直きちんとした指導なんて無理だろう。でも、このパッションは。この快感は。この団で歌ったことがある人間でなければ分からないだろう。これこそが命を削って出すハーモニーだ。この良さを、なんとかして生徒に伝えたい。胸が熱くなった。

 

 日本語ステージでは、自分も歌ったことがある分、落葉松とねがいの表現に持って行かれた。榎本さんのピアノも素晴らしかった。手元の見える位置に座った自分を褒めたい。

 わずか数小節の間に、めまぐるしく変わる曲のドラマ。いい和音が鳴るたび、ステージの皆さんの表情が感極まるたび、私の心臓もキツく収縮し、涙が出た。ああ、ホールで合唱を聴くっていいなぁ。

 身体から精神が乖離し始めていた。旋律の色が見える気がして、伸びる声に合わせてホールの天井を見上げていた。Domaの音楽が、生きて動いてそこにいた。

 

 第2ステージのウィテカー、第3ステージの「歌が生まれるとき」もそれぞれ素敵だったが、印象に残っているのは終曲のアポロンの竪琴だった。力強い言葉とまっすぐなハーモニーが、Domaの若くて明るい歌声によく似合っていた。あぁ、合唱って、こんなに幸せなものだったんだなぁ。私も幸せな合唱がしたい。二時間があっという間だった。

 

 感染対策には気を遣うべきだったので、終演後はほとんど誰とも喋らずに16時半の新幹線に乗った。たまに私を視認した知り合いが「え?」という顔をするのが面白かった。確かに、何でいるの? って思うよね。多分見間違いだよ。うん。

 

 もう福岡の合唱界に戻ることはできないけれど、自分が過去にそこにいて、今もその場所で素晴らしい音楽が生まれているという事実に、ひどく勇気づけられた気がした。世界は狭い。もしかしたら、歌い続けてさえいれば、いつかどこかでまた一緒に歌う日も来るかも知れない。その時は、私もいい音楽を携えて行きたい。それまでは自分の場所で、きちんと自分の役目を果たそうと思う。仕事頑張ります。

 

 改めて、ご盛会本当におめでとうございます。

 いつかまた、一つの竜になれますように。