新緑の箱庭

日々の雑感の掃きだめとして。

はじめに

 齢27にして、ブログを始めた。

 大学在学時からSNSの海にどっぷりとつかって10年近く経とうとしているが、140字の投稿に飽き足らず、長い文章を書く場を設けたいと思って手を出したわけである。

 

 常に、「何かを語りたい」という欲望は私の中に存在している。

 正確に言えば、首尾よく、一貫した形で目の前の物事を文章の中に落とし込みたいという意欲がすさまじい。学生時代は英文や評論文を100字に要約するのが好きだったし、今だってtwitterのタイムラインに鈴なりになった自分のツイートを何度も読み返しては悦に入っている。考えを、見える形にまとめたいのだ。

 

 そして今、私はもっと喋りたい。100字ではなくて、5000字くらい語りたい。

 大学の卒業論文を最後に、「作文」と呼ばれるようなまとまった長さの文章を書く機会は無くなってしまったが、今思えば、無理やり長い文章を書かされていたあの経験も悪いものではなかったのだと思える。私たちは長い文章を綴る過程で、曖昧模糊とした自分の思考に質量を与え、この世界に存在させる。情報化社会の進展と共に、人間存在における精神の比重がますます増大しているこの令和の世において、思考が存在を得ると言うことは、すなわち自己の存在が強固になることに等しい。私たちは書くことによって、この世界に自分の居場所を作り出している。

 

 幸運なことにここ数年は、周囲の人々と環境に恵まれて、自分の殻に閉じ籠ることなく、外の世界で目一杯活動することができている。けれど、20代も折り返しをだいぶ過ぎた今、私には分からないのだ。

 今、胸に去来するこの寂しさや怒りは、何なのか?

 昔の自分にはなかった、この新しい価値観は、何なのか?

 私は再び、自分のことを定義したいと思っている。自分のことを、分かりたいと思っている。

 

 たまに思いだしたように、生活と生活の息継ぎとして、文章を書いていきたい。