新緑の箱庭

日々の雑感の掃きだめとして。

残り香

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冷蔵庫を開けると、いつもバニラの匂いがする。

 

庫内にもうバニラエッセンスの瓶はない。一度使ったきり、蓋を開けることもなく賞味期限切れで処分したのだ。なのにドアを開けるたび、いつもこの匂いが鼻を掠める。丹念に拭いても、消えてくれない。

 

最後にバニラエッセンスを使ったのは何年前だろうか? 彼氏と別れたのは1年と4ヶ月前だから、それよりも少し前になる。確か、春の頃じゃなかっただろうか。

 

彼は寺の息子で、車で4、5時間はゆうにかかる遠くの街に住み、家業を手伝っていた。律儀な彼は2ヶ月に一度、水色の軽自動車をトコトコ走らせ、私のアパートを訪ねてきてくれた。

 

当時は私も田舎に住んでいたため、彼が遊びにきてくれても、2、3回外出を繰り返せば出かけるところもなくなってしまう。休日の良い計画が浮かばない私に彼が提案したのが、プリン作りだった。

 

「修行中に料理当番をする時があってさ。使える材料は限られてるんだけど、工夫してプリンもどきを作ってデザートにって出したら、みんな喜んでくれたんだよな」

 

遠距離恋愛になる前、彼は実家の宗派の総本山にあたる北陸の寺へ修行に出ていた。そこで過ごした1年半ほどの日々を、彼はいつも懐かしそうに口にした。大学時代は1人でまともに自炊もできなかったのに、彼は少し変わって帰ってきた。

 

必要なのは蒸し器とプリン型だが、私の家にはない。私の家から10分ほど麓に下った町のホームセンターに行き、ああでもないこうでもないと、2人で探して回った。

 

手順自体はシンプルだった。卵と牛乳と砂糖を混ぜ、すが立たないように漉し器に通すと同時に、小鍋で砂糖を溶かしてカラメルを作る。買ってきたばかりの紺色の陶器のカップにそれらを流し込んだら、蒸し器をセットした鍋に入れて、コンロに火をつける。彼の作業は手際良く、2人でやるとあっという間だった。

 

出来上がりを待つ間、彼は故郷の友達や家族のことを話した。今も地元に残っている彼の友達は多くない。聞き覚えのある名前とともに、山に登ってきたとか、酒を飲んだとか、代わり映えのない日々の報告が訥々と過ぎる。

「ほら、この前の冬、お前も会っただろ。あいつは今度結婚するんだ。」

そう言われて、私はあの日の古い飲み屋で同席した彼の旧友を思い出そうとする。だが正直、似たような顔が曖昧に脳裏に浮かんできて、誰が誰なのか判別がつかない。

 

 2ヶ月前の彼との休日は、私の家ではなく、彼の実家で過ごしたのだった。長く付き合っているのだから、親御さんへの挨拶程度は仕方ないと、半ば引きずられるような形での訪問だった。

彼の両親は歓待してくださったが、「それで、いつ頃結婚するの?」という母親の台詞に、私は何も言えなかった。

 

プリンはなかなかの出来だった。多少気泡は入ってしまったが、初めて作ったとは思えないくらい、卵の味がしっかりとする優しい甘さのプリンだった。奥までスプーンで掬うと、少々苦過ぎるカラメルが顔を出すのと一緒に、バニラが仄かに香った。

おいしいねぇ、と素直に声が漏れて、私は彼と笑った。一緒に作った夕飯のハンバーグも上々だった。

大好きな人と一緒にいるのは、楽しく、暖かく、幸せだった。一年半の修行の後、彼がまた私のところに戻ってきてくれたのも嬉しかった。2ヶ月に一度しか会えなくても、その一晩を一緒に過ごせれば満足だった。彼が生きて、私の横に存在しているということ。そのささやかな幸せを噛み締めて、私はいつも見えない何かに感謝していた。

 

それでも、うまくいかなかった。

働き始めて数年、仕事はやっと軌道に乗り始めていた。私は教師で、いつかは自分の母校で教鞭を取るという夢がある。高校時代からずっと拘り続けてきた夢だ。大学を卒業する時だって、就活はせず、地元の教員採用試験一本に目標を絞ったのだ。

赴任が何年先になるのか、それは誰にも分からない。彼は、教師が続けたいなら一度辞めて結婚してから彼の地元で再就職すればいいと言ったが、それでは意味がないのだった。

また、数年前に父が死んで、母を1人残して遠い地で嫁入りしてしまうのも気がかりだった。…いや、それは言い訳で、本当は私が知らない土地で人生を一から始めるのがとても不安だったのだ。ここにいれば、慣れ親しんだ家族も友達も、確かな収入もある。今まで自分の力で積み上げてきたものを全部捨てて彼に着いていくのは、とても心細かった。

 

きっと彼が地元の話をたくさんしたり、実家の家族や友達と会わせようとしたのは、私の不安を拭いたいという彼なりの思いやりだったのだろう。お前が行こうとしている場所は、そんなに悪いところじゃないよ、と。

けど、結婚の話題を持ち出される度、私は自分が彼の思惑に囲い込まれて、ジリジリと追い詰められているような感覚に陥った。このまま逃げられなくなって、時間切れになって、なし崩しに地元へ連れていかれるのではないか? 

そんな妄想が頭の中を支配して、私は彼から連絡が来るたびに苛立ち、自分でも分かるほど刺々しくなっていった。いつしか彼はこちらの機嫌を伺って不安そうな顔をすることが多くなったが、それも私をイラつかせた。なんで私が悪者になっているの?

私は話を聞いて欲しかった。私の夢や不安にもっと寄り添って欲しかった。でも、彼にそのことを告げても、いつも宥めすかされ、丸め込まれ、地元の話ばかりされた。

 

しんどい、と思うようになった。

 

夏のある日、テレビ電話でいつものようにたわいない話をしている最中、何気なく溢れた彼の一言。

「それで、そろそろ結婚してくれる気になった?」

胸の中で何かが音を立てて切れるとか、心の堤防がいよいよ決壊して気持ちが溢れ出すとか、巷にはこういう時に使う色々な表現があるが、実際にその場面に直面した時、頭に浮かんだのは蝋燭の火だった。確かに灯っていたはずの炎は、彼の一言で一瞬で吹き消えてしまった。後に残ったのは、白く立ち昇る煙のような虚しさと、ひんやりとした暗がりだった。

私はあなたの人生の駒ではない、あなたのために結婚して寺に入る義理はないと、乱暴に言い捨てて回線を切った。

長く付き合ってきた大切な彼と、本当はもっと丁寧に別れるはずだった。けどできなかった。一思いに引きちぎらなければとても断てないほど、私たちの関係はもつれて絡まってしまっていた。

それ以来、彼には一度も会っていない。

 

別れた次の春、私は運よく母校に赴任した。夢が叶ったのは嬉しかったが、仕事はキツく、休みはない。週7の出勤の合間、自分の右手の甲にずいぶん皺が増えたことに気づく。時は進み、私は確実に歳をとっていく。

 

あの時もし彼を選んでいたらと、不毛な考えに囚われることもある。元気でやっているだろうか、寺の仕事は忙しいだろうかと心配してみたくなる時も少なくない。

でも、私はこちらを選んだ。大好きだった彼を捨てて、こちらの道を取ったのだ。私はこの道をよそ見することなく邁進する責任がある。いつか歳をとって、皺々になって、その時に1人だったとしても、泣き言を言う権利はない。彼を傷つけた代償に、私は自分の力で幸せになると決めたのだ。

それでも、どうしても時折考えてしまう。ただ一緒にプリンを作って食べるような、そんなささやかな幸せがあるだけでよかったのに。そのほかには何も要らなかったのに。なぜ、たったそれだけのことが上手くいかなかったのだろう、と。

 

冷蔵庫を開けるたびに、今もバニラの匂いがする。

消えたはずの蝋燭から、今日も煙が立ち上る。

 

Nについて

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 今日はNの話をしようと思う。

 

 Nというのは、私の元職場の同僚で、友達である。

 年は4つか5つ上なのだが、採用は私より一年遅く、先輩としても後輩としても、中途半端な関係にあった。だから、こんなに深く付き合うようなるなんて、出会って間もない頃は全く思いもしなかった。

 

 Nは非常に気が利く。鈍臭くて自分の事すらままならない私とは人間的に雲泥の差があり、常に周りの人間の距離と、表情と、状況を読んでいる。彼女と食事に行く人間のうち、何人が自分で匙を取り、先にグラスに水を注ぐことができるだろうか。とにかくNは、周りの人間に簡単に隙を見せない。

 当然仕事においても高い能力を発揮するNには、普通の人間の何倍もの仕事が舞い込んでくる。「本当にきつい。やりがいもないし、やめたい。」と、彼女はやっとほんの少しの愚痴を私にこぼしてくれるようになったが、実際は職場の誰よりも完璧に任された仕事をこなし、一番高い成果を挙げて来る。分厚い皮に包まれた、本心の見えない人……私の最初のNへの印象は、この程度だった。

 

 彼女、と書いたが、Nは女性である。実際、彼女は大変女性らしい。料理や裁縫の腕前は天下一品で、飲み会の二次会で急に自宅を訪れた同僚においしい手料理を振る舞えるし、自分で縫った美しい形のワンピースで出勤することもある。買う服のセンスもよい。彼女と一緒に街を歩けば、好奇心のままに馴染みの店の服を次々と手に取り、あれよあれよという間に両手いっぱいに購入している。モノトーンかつ無難な形の服ばかり身に着ける私にとっては、一生着る機会のなさそうな奇抜な形のスカートも、彼女にかかれば夢のようなコーディネートに様変わりする。研究した上で、自分に似合う服をよく理解しているのだろう。高校時代美術部だったという彼女は、美しいものが好きだ。美しいものに囲まれているときの彼女は、仕事の時には見せない、あどけなく天真爛漫な少女の顔をしている。仕事の時とはかけ離れた彼女の姿に、私は何度も戸惑った。この二面性は何なのだ? どちらが真で、どちらが偽だ?

 

 Nは、私をたくさん遊びに誘ってくれた。飲みもご飯も旅行も、最近では彼女と行くことが一番多い気がする。同じ時間を重ねる中で、私は何度も注意深く、彼女の正体を暴こうともがいた。何をさせても欠点のない、優等生の分厚い皮の下で、本当は何を考えているのだろう? 私たちはよく話した。馬鹿話も議論も恋の相談も、ケンカもした。それでも彼女の本心は、見つかることはなかった。というか、剥いても剥いても皮だったのである。

 その感覚が確信に変わったのは、二人で神戸に旅行に行ったときである。異人館街の香水の館で、私たちそれぞれの香水を作ってもらった時に、彼女に割り当てられたのは甘いはちみつの匂いだった。愛らしい少女のような、柔らかな匂い。その瞬間、悟ったのである。彼女の本来の姿はこれなのだと。仕事の時に見せる類稀なる鋭敏な感覚は、努力の上に培われたものなのだ。彼女を包む「皮」は、汚れた本体を覆い隠すための仮面ではなく、一枚一枚上塗りされた彼女の努力の賜物で、それが玉ねぎのように、今の彼女を形成しているのだと。

 

 もう、私に彼女を疑う理由はなかった。初めての感覚だった。卑屈さゆえに、他人に対して心を開くのを苦手とする私が、彼女の虜になっていた。彼女は努力家で、博識で、客観的だった。二人で話し合えば、彼女はいつも私が欲しい言葉をくれた。彼女のお茶目な一面に、心はいつも明るく照らされた。もしこの文章が小説なら、そろそろ彼女か私の身に何かが起こって別れの危機に晒されそうなものだが、幸い、私とNは、職場が離れた今でも友達である。きっとこれからもそうだろう。

 

 好きな人について書こうと思うとき、あれこれと考えていたはずなのに、いざ文章にすると思いだせないものである。乱文かつまとまりのない内容になってしまったが、推敲は気が向いた時の私に任せて、今日はここまでにしようと思う。

 また思いだしたことがあれば、Nについて書こう。彼女はとにかく、魅力的である。

 

 

 

はじめに

 齢27にして、ブログを始めた。

 大学在学時からSNSの海にどっぷりとつかって10年近く経とうとしているが、140字の投稿に飽き足らず、長い文章を書く場を設けたいと思って手を出したわけである。

 

 常に、「何かを語りたい」という欲望は私の中に存在している。

 正確に言えば、首尾よく、一貫した形で目の前の物事を文章の中に落とし込みたいという意欲がすさまじい。学生時代は英文や評論文を100字に要約するのが好きだったし、今だってtwitterのタイムラインに鈴なりになった自分のツイートを何度も読み返しては悦に入っている。考えを、見える形にまとめたいのだ。

 

 そして今、私はもっと喋りたい。100字ではなくて、5000字くらい語りたい。

 大学の卒業論文を最後に、「作文」と呼ばれるようなまとまった長さの文章を書く機会は無くなってしまったが、今思えば、無理やり長い文章を書かされていたあの経験も悪いものではなかったのだと思える。私たちは長い文章を綴る過程で、曖昧模糊とした自分の思考に質量を与え、この世界に存在させる。情報化社会の進展と共に、人間存在における精神の比重がますます増大しているこの令和の世において、思考が存在を得ると言うことは、すなわち自己の存在が強固になることに等しい。私たちは書くことによって、この世界に自分の居場所を作り出している。

 

 幸運なことにここ数年は、周囲の人々と環境に恵まれて、自分の殻に閉じ籠ることなく、外の世界で目一杯活動することができている。けれど、20代も折り返しをだいぶ過ぎた今、私には分からないのだ。

 今、胸に去来するこの寂しさや怒りは、何なのか?

 昔の自分にはなかった、この新しい価値観は、何なのか?

 私は再び、自分のことを定義したいと思っている。自分のことを、分かりたいと思っている。

 

 たまに思いだしたように、生活と生活の息継ぎとして、文章を書いていきたい。